講師の小林あやです!

こー先生って呼んでください!

資格

  • 英検 準1級(2005年)1級(2018年)
  • TOEICスコア 980点(2007年)、975点(2010年)、965点(2018年)
  • J-SHINE(小学校英語指導者認定資格)取得(2011年)
  • TOEFL iBTスコア 93点(2016年)
  • 保育士(2012年)

略歴

  • 1979年愛知県幸田町にて生まれる
  • 大阪外国語大学 開発・環境専攻 イタリア語科卒業
  • 貿易事務5年間従事
  • ​カナダにてワーキングホリデー
  • カナダの語学学校、ビジネス専門学校にて4か月学び、ファームステイを2か月経験
  • バンクーバーから東向きに約2か月かけてアメリカ、ヨーロッパ、アジアをバックパックして回る
  • 帰国後、児童英語教室講師経験2年、保育士経験3年
  • ​2017年4月、三重県いなべ市にて、「英語教室Maple Ridge」設立

趣味は・・・庭いじり(このごろハーブにはまってます)、メダカの世話、空手を息子と娘と一緒に習っています(笑)

 


経歴を見ていただいてわかるように、私は海外生活が長い人間ではありません。
両親は英語を含む外国語が大嫌いで、幼いころ英語の歌を聞いたことも全くありません。

中学校で初めて英語を習い始めるまでは全く英語に接していませんでした。

学校の勉強としての英語に出会い、受験勉強としては得意でした。
頭で理解する学問としての英語、外国語が自分の性に合っていたようです。

さて語学好きが高じて、外国語大学に入りました。

イタリア語を専攻し、副専攻ではスペイン語を学びました。
確かに楽しかったけれど、留学はしなかったし、イタリア語もスペイン語も、しゃべれるというところまではいきませんでした。


就職活動の時期を迎え、

私はこの先どうやって生きていくんだろう?

と考えた時、やっぱり英語ができないとなあと思ったものの、

自分がしてきたのは受験英語だけでした。

まったく、本当にまったく英語で会話したことがなかったのです。 

 

そのころ自分の幼馴染であり、親友であり、生涯にわたってのライバルである友が
高校時代からアメリカに渡り、アメリカで大学に進学していました。
2011年、彼女を訪ねて、私は生まれて初めての海外一人旅に出ました。

彼女と落ち合ってからはもう完全に彼女が旅を仕切ってくれました。
しどろもどろで、まったく言葉が出てこない私と、
英語でアメリカ人のように話し、(私には本当にアメリカ人のように見えました)
旅先で会った知らない人ともフレンドリーに会話している彼女。

高校までは同じ受験英語を勉強してきた私たちのこの差。

私が勉強してきたことってなんだったんだろう・・・

英語っていうのはしゃべれないと全然意味がないんだ。

という事実を突きつけられました。

本当にショックでした。
無力感でいっぱいでした。

 

そして私たちがマンハッタンにいるとき、9月11日のテロが起きました。

昨日見に行ったばかりの自由の女神、そのすぐ近くの貿易センタービルに飛行機がつっこみました。
友達は完全に怖がってしまい、一足先に電車で帰ってしまいました。
私が日本へ帰る予定だった飛行機がキャンセルになり、
航空会社のサテライトセンターに何度も足を運んで、
なんとか飛んでいた別の飛行機のチケットを買い、ようやく帰国できました。

そんなことがあり、とにかく英語がしゃべれないと本当にダメだと思い、
英会話教室に通い、英語をしゃべる練習を本格的に始めました。

ご縁があって英語を使った仕事に就くことができ、多くの素晴らしい人たちと出会えました。
一生に一度はしてみたかった海外生活をしようと、 ワーキングホリデーも経験しました。
帰国後も勉強し続けて、ようやく、私は英語がしゃべれますと言えるレベルにまでたどり着くことができました。

長い時間とお金がかかりました。

 

アメリカに住んでいれば英語なんて3歳の子どもでもしゃべれるのに、
日本人で英語をしゃべれるのは、帰国子女とか長いこと海外生活してた人だけだなんて、
なんだか悔しくないですか?

日本にいたってしゃべれるんだ、英語をしゃべるのなんてそんな難しいものじゃないって、
さらりと言えたらかっこいいと思いませんか?

私は、日本にいたって、何歳から英語を始めたって
しゃべれるようになるということを、
自分で証明したいと思いました。

自分の経験から、英語は必ず話せるようになるよ!ということを、
次世代を担う子どもたちに伝えたいと思うようになりました。

英語はただの手段です。
皆さんがご自分の能力を生かす手段としての英語を身につけるお手伝いをすること、
それが私の目的です。